やまだ系

コンピューターやWEB関連の情報収拾と整理、資格取得に関することを目的にしたブログ

3.11 あの日のこと

今年は平成30年。
東日本大震災の年は平成23年でした。

振り返ってみたいと思います。

私はこの新潟で新潟市内の職業訓練委託期間の会社で講習をしていました。
初めは大きな揺れは中越地震、と中越沖地震と2回体験していたのでそこまで驚かなかったのですが、それでもちょっと相当長い揺れだったことは印象深かったです。
経験のおかけで大きな揺れの後にはまだ揺れが来ることも知っていました。揺れが収まった後速攻出口確保で非常口の出口も揺れで閉まらないよう開けに行きました。

みんなで大事なデータが壊れないようにノートパソコンを持っていたことが記憶に残っています(笑)

ワンセグで受講生が情報を集め始め津波の動画も確認できました。さすがに新潟は日本海側なのでそこまで心配していませんでしたが、日本海側で怒ったら、実際のところ新潟市内は海に近いし地盤も弱いので他人事ではないと思います。

JRも止まり、ビルからも一世に人が出て歩道には多くの人が出ていました。
本当はビルの中が安全なんだと思うんですが、ビル内の安全確保が確認できないからでしょうかみんな外に出されています。地震が来たら外の方が危ないんですけど、新潟は・・・・土地面積があるので避難できるから外でもいいかもしれないとも思いました。東京は建物の中の方がいいよね。ビルが多いいからガラスとか落ちて来ても怖いですし。
ちなみに訓練施設も帰宅命令がでました。歩いて帰れる距離の人はいいんですが電車の人はどうしたんでしょうね。


私も帰宅困難者です。電車通勤だったんですが近所にお住いの講師の車に乗せてもらうことができたので帰宅できました。家は無事。次男はインフルエンザで学校休んでいたのでこちらも無事。唯一連絡が取れないのは高校生の長男。学校からの指示通りで帰宅したことになっていますが帰ってこない。


今のようにどこトレのようなリアル情報を伝えるサイトもない。結局、高校のある駅まで行くと高校生がいっぱい。息子もいると思って探してもいない。
携帯もリアルタイムで繋がらないし・・やはりこういう時は固定電話ですよね。しみじみ。しかも被災地区判定されていたので公衆電話はただでした!!すばらしい!!NTT!!


息子はゆっくり走る電車でゆっくり帰って来ました。

みんな無事でよかった。という記憶と、いつ何が起こるかわからないこと。毎日を大切にしたほうがいいということ。
そして自分に何ができるのか今一度考えていきたいと思いました。


できることってきっとたくさんあるんだけど、自分の勇気とかわがままとかでやらなこととがたくさんありすぎて「できること」を50年以上生きて今からできることを一つだけでも「何か」探していいこうと思います。